心と体を整える旅とは?
終活や人生整理を考える中で、「まず自分の気持ちを整えたい」と感じたことはありませんか。
この連載では、私自身がこれまで訪れてきた場所や、そこで立ち止まり、感じ、考えてきた時間を通して、「心と体を整える」とはどういうことなのかを、少しずつ言葉にしていきます。
御朱印と父との時間から考えたこと
手元に、一枚の写真があります。
平成19年の12月、鎌倉・円覚寺でいただいた御朱印です。

この写真を見た瞬間、
時間が少し巻き戻ったような感覚になりました。
当時の私は32歳。
今は50歳なので、もう18年も前のことになります。
実は、この御朱印が書かれていた
一冊目の御朱印帳は、もう手元にありません。
2022年に父が急逝したとき、
「ありがとう」という気持ちと一緒に、
そっと父の棺に入れてもらいました。
今は写真の中にしか残っていない一枚ですが、
そこには、当時の空気や感情が、不思議とそのまま閉じ込められているように感じます。
当時のわたしと、父との時間
私の両親は離婚していて、
父と一緒に暮らしていたのは高校生のときまで。
それでも、時折、父が運転する車に乗って
二人でお墓参りに出かけていました。
父の実家のお墓へ。
そして、母の実家のお墓へ。

建築設計士だった父は、
道中、建物や土地の話を教えてくれました。
車の中に、特別な会話はありません。
窓の外を流れる景色と、低いエンジン音。
今振り返ると、あの長い沈黙は、
父とつながれる数少ない「安心できる時間」
だったのかもしれません。
神社仏閣に足が向いていた理由
30代の私は、
「心を整える」「自分と向き合う」
そんな言葉すら知りませんでした。
自分が誰なのか分からなくなって、
どこか地面から足が浮いているような、
心細さを抱えていた時期だったと思います。
そんなとき、なぜか吸い寄せられるように、
神社やお寺を訪れていました。
参拝し始めたころは、
「〇〇しますように!」と、
かなり具体的で、全力なお願いばかり(笑)。
でも、あるとき、ふと考えたんです。
今、私が願っていることは、
本当に私や家族を幸せにしてくれるんだろうか?
それからは、「私と家族が元気で、笑って毎日を過ごせますように」。
細かいことは神様にお任せして、
自分にできることを、ひとつずつやってみる。
結果オーライならそれでいい。
そんな、少し肩の力を抜いた願い方に変わりました。
整える旅は、答えを出す場所ではなかった
なぜ、あの頃あんなに必死に神社仏閣を巡っていたのか。
今も、はっきりとした答えは見つかりません。
ただ一つ言えるのは、静かな境内で、
墨書きの文字を見つめている間だけは、
バラバラになりそうな自分を、
どうにかつなぎ止められていた、ということ。
理屈ではなく、「救われていた」という感覚に、
今は素直にうなずけます。
「旅」は、自分を迎えに行く時間
その後、今の夫と出会いました。
彼は神社仏閣にあまり興味がありませんが、
私が行きたい場所には、
いつも「いいよ」と一緒に来てくれます。
一人で静かに向き合う時間もあれば、
誰かが隣にいる安心感の中で過ごす時間もある。
かつて父と過ごした沈黙とは違う、
穏やかで自由な時間が、今の私にはあります。
「旅」といっても、
遠くへ行く必要はないんだと思います。
日常から少しだけ離れて、置き去りにしてきた自分の声を聞くために立ち止まる。
それだけで、十分に「旅」なのではないでしょうか。
忙しい毎日の中で、
迷子になりそうな自分を迎えに行く。
私は、そんな時間を
「心と体を整える旅」と呼んでいます。
私の旅は、まだ途中です。
父と一緒に送り出したあの一冊の続きを、
今は新しい御朱印帳に、少しずつ書き込んでいます。
これから、そんな等身大の旅のキロクを
ぽつり、ぽつりと綴っていけたらと思います。
「あとで見返したいな」と思ったら、Pinterestにピンしておくのがおすすめです。
ご自身のボードに保存しておくと、いつでもチェックできますよ📌

